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にえガレのブログ

「捉われずに拘る」をモットーにしております。

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にえ

Author:にえ
「Nie's garage」略して「にえガレ」のブログへようこそ!

『捉われずに拘る』をモットーにやっております。

2ストローク色がやや強そうにみえるかも知れませんが、4ストロークも含め どのようなバイクに乗っておられる方にも見ていただけるように配慮しているつもりです。

少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

~Nie's garage OSAKA JAPAN~

☆お問い合わせはこちらまで☆
niesgarage@gmail.com

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2010.03
09
Category : どやさこやさ
昨晩、死んだ婆ちゃんを、婆ちゃんの口癖を思い出した。

「さよか」

京都出身であることが誇りだった婆ちゃんらしいなぁと、今この歳になって思う。

イラチなオヤジ(婆ちゃんからみたら息子)が、ワーワーギャーギャーと吠えたくっていると、婆ちゃんは一言いう。

「さよか」

たったの一言。これで終わり。

ネイティブな京都人からしたら、間違った解釈かも知れんけど、「左様でございます」が語源なんじゃないかな?
左様でございます…のあとに「か」がつく。ちょっぴり「慇懃無礼」さがある。
丁寧なようでいて、どこかで小ばかにしてるような雰囲気。ブラックな感じもあり、柔らかくもある。
京都言葉ならでは…といえば言いすぎでしょうか。


この言葉を今更ながらに振り返ってみる。言葉の中に、ホンの小さな影を感じはするものの、ケンカは 生まない。この点は実に好ましい。
納得はしていなくとも、拳は下ろさざるを得ないし、頭に血が上ったほうが負けだということがよく分かる。

一方、ここで溜飲を下げられなかった人は、頭に上った血のやり場を失い、自らの中でグツグツと沸き立たせていくのだろう。
怒りを内包した人間ほど脆いモノはない。そのうち自己崩壊をするのがオチだ。ま、怒りなんてものは「自分で解決せーや」ということなのだろう。


話は変わるが、私は「もののけ姫」が好きだ。中々奥深く、見るたびに新たな気付きを与えてくれる。

あの作品にでてくる「祟り神(たたりがみ)」。「怒りを内包した人の行きつく先」を表しているように思えてならない。
怒りや憎しみは何も生まず、自らを内側から崩壊させる…そんなメッセージを感じるのだ。

怒りなんぞはサッサと開放(解放の方が適切か…)しちゃうのがいいってことのだろう。

一般的に怒ってる状態を突き詰めて捉えていくと「なんで怒ってるのか」分からないことが多いように思う。少なくとも私はそうだ。
その時々ではまっとうな理由なり背景がある。しかし、突き詰めていけば、状況こそあれど理屈はない。

「腹がたつ」「むかついた」「なんとなく気に食わない」

文字にしてみると「情けなくね?」と感じてしまうようなことばかりだ。こう感じる理由をツラツラと書き連ねてみるとよく分かる。書き連ねたことを客観的にみると、もっと分かる。
くどいようだが、状況こそあれど理屈はなく、ただ一言の結論に導かれる。

「さよか」

婆ちゃんが教えてくれた言葉。婆ちゃん、ありがとう。
もう亡くなって随分になるなぁ。近々 にえ子と一緒に墓参りにいこうと思う。

 ¶

閑話休題…。

「怒り」という言葉を切り口に、宮崎駿の作品を思い返すと 色んなことが見えてくる。
ナウシカでも怒りがあるよね。虫たち、そして台地の怒り。

ラピュタもそう。なんとなく「怒り」の邪悪なパワーを感じてしまう。

千と千尋の…にも「怒り」はあるなぁ。ユバアバや、カオナシの怒り。あれは何を意味するんだろうなぁ。

…それにしても、トトロは平和でいい(笑)

トットロ トットーロ~♪ ネコバスばんざーい\(* ̄O ̄*)/


もののけ姫の中で 「たたりなんてもらうんじゃないよぉ」ってセリフがある。言いえて妙。ま、ここんところはスターウォーズの「ダースベイダー」にも共通項があるよね。

怒りは自分の中にあるものだけど、伝染することだってあるんだよってことなのかな。
ま、引き金になるって言い方の方が適切かもしれない。怒りの火種は、誰だって内包してるもんだろうしね。

 ¶

先日読んだ「竜馬がゆく」に、興味深い行(くだり)があった。

「議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実質的に逆効果であることを、この現実主義者はよく知っている」

なかなか恐怖深い。

ふと、このブログの「ちょぃと一言」欄に書いてきたものを読み返してみた。
よくお問合せを受けるんだけど、あれらの言葉は、時に愛読書からの抜粋であったり、それを元に思いついた言葉たちだったりします。

代表的なものを列記してみます。

「反論のない仮説は空想に過ぎず、仮説に対する反証のないところに科学の発展はない」

「自分の中にある恐怖と怒りを乗り越えること」

「弱いから受け止められない。だから跳ね飛ばす。真の強さとは、力を受けて、それに耐えるための強さである」

「結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るのだ」
(有効とは何か…がテーマである)

なかなかいいことが書いてある(笑)

 ¶

日々常々考えをめぐらしている私。近頃感ずるのは、自らの中に怒りを生むのは、結局のところ、本質的な自尊の問題なのではないか?ということ。

”自尊”とは、
「自分を大切にし品位を傷つけないようにすること」(大辞泉より)

自尊心を守るのに必死になるあまり、自らの中に怒りを生み、崩壊に導いていないだろうか?
本当の意味で自分を大切にし、品位を高めるためには…怒りは むしろ邪魔だと思うのだ。

いうなれば、自らが「排他的な秩序」をつくりあげ、そこに捉われてしまってはいないだろうか。

そこから、そう 排他的秩序から脱却しなければ、明るき未来はないように思う。

心の落ち着きは正しい価値を生み、正しい価値は正しい思念を生むのだ。

 ¶

自分とは、自分のプライドとは?…少なくとも自分を守る殻ではないと思っている。

そんな表面的なもののは、自分を守ってはくれない。

「結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るのだ」と書いたが、私は この言葉を逆説的に捉えている。

高くて丈夫な柵をつくって安心していること即ち、自らに枠を作り、押し込めているにすぎないということ。守っているつもりが、自らを縛り、可能性を損ねているように思うのだ。

プライドなんてものは、余計なものを全て取り払い、最後の最後に残る「軸」だと思う。

どんなときもブレない軸。必死のパッチで守らずとも、「ただ自分らしくあれば」いい。

他人の中傷、評価なんて気にせず、ただ自分らしくあろう。もしかしたら多くのものを失うことになるかも知れない。しかし、損なわれはしない。

 ¶

自分自身を振り返ってみる。私は実に怒りっぽかった。本当によく怒ってたし、怒りまくっていたなぁ。
或いは、相手のことを強く想うあまり、自分の意見こそが正しく「こうやることが正解であり正論である」とブツけ続けてきたように思う。


相手を論破し、徹底的に叩きのめしてこそ「勝ち」であり「価値」だと思っていたところがあったのだ。

相手の逃げ道を塞ぎ、時に相手のパーソナルな部分を触り、攻撃し、徹底的に叩きのめす。起き上がったところにトドメを指すことも忘れない。

タチの悪いことに、徹底的に叩きのめした後に、ちょっとしたフォローだってしてみせる。そういうところは極めて器用だった。そう「俺は冷静だよ。ちゃんと分かってるんだよ」なんてポーズを決め込むのだ。

そういうことを「強さ」であり「優しさ」であり、時に「愛情」だとも思ってもいた。

だけど今振り返ってみたら、そんなことに何の意味もない。少なくとも強さでも優しさでもない。

そして、やった方は覚えてなくても、やられた方は覚えている。自分が傷ついて初めて分かった。


自分の過去(やってきたこと、やってしまったこと)をこれからも背負い、今をそして未来に進んで生きたいと思うのだ。
そう、自分の過去に責任を持てないヤツに未来を語る資格などないのだから。
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